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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)1585号 判決 1971年10月30日

原告

斉藤竹三郎

外三名

代理人

尾原英臣

被告

入船運送有限会社

被告

大塚尚

代理人

平沼高明

外二名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

(原告ら)

一、被告らは連帯して原告斉藤竹三郎に対し、三〇七万六〇八〇円、原告斉藤義雄、原告笹川キクエ、原告新発田秀雄に対し各金五二万一五二〇円および右各金員に対する昭和四三年三月一六日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二、訴訟費用は被告らの負担とするとの判決ならびに仮執行の宣言

(被告ら)

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は被告らの負担とする。との判決<以下略>

理由

一、原告ら主張一の事実は当事者間に争いがない。

二、まず本件事故の過失関係について判断する。

<証拠>によると、

事故現場附近の道路は、通称川越街道と呼ばれる交通量の多い道路で、車道幅員16.6メートルであり、加害車進行方向(川越方面)に向け緩やかに左にカーブしている。

被告大塚は、加害車を運転し、前車と約三〇メートルの間隔を置いて時速約四〜五〇キロメートルで進行していたところ、横断歩道の端に亡タセが横断しようとして一歩踏み出しているのを約24.2メートル手前で発見し、危険を感じて急ブレーキを踏んだが、亡タセは左側車線の中央付近で一旦立止まる気配を見せたものの横断を続行したため、対向車と衝突してもやむなしとしてハンドルを大きく右に切つて避けたが及ばず(急ブレーキによるスリップ痕は右11.3メートル左10.4メートル、反対車線に向け斜めに路上に記されていた)、センターラインをやや越えたあたりの横断歩道上で、加害者左後車輪で亡タセを轢過し、対向停出した乗用車に自車の左前部を接触させて停止した。

亡タセは横断するに際し犬を引いていたが、黄色の旗を前に出していた。

加害車は最大積載量一一トンのところ、14.805トンを積んでいた。

以上の事実が認められる。

被告大塚は、亡タセが歩道上に駐車した車のかげから犬をつれて走つて飛び出して来た旨主張するが、亡タセが六三才であること、被告大塚の供述以外に右事実を裏付ける確証のないことを考慮すると、右主張をそのままには採用できない。

右事実によると、被告大塚には横断歩道直前での徐行を怠つた過失が認められる。

もつとも被害者である亡タセも、車の交通の頻繁な川越街道を信号機のない横断歩道において一寸した車の切れ目に横断しようとしたのであるから、右方に近接しつつある加害車に対し、注意を払うべきである。亡タセが加害車の左後輪に轢過されている関係から見れば、もし亡タセが、一歩立止まるだけでも事故に遭わなかつたかと思われるから、この点に亡タセにも過失がないとはいえず、過失相殺としてその損害額の一割を減額することとする。

三、次に損害関係について判断する。

<証拠>によると、亡田中タセは、白子測器株式会社に留守居として勤務し、昭和四一年一一月には月額二万三一〇〇円の給与を得ており、かつ、そのほかに年間一八カ月分の賞与を得ていたこと、同株式会社はその後ナルミ商会に合併したが、同商会では定期健康診断の結果により健康が許す限り亡タセを勤務させる予定でいたこと(特段定年の定めはなかつた)、亡タセは時々神経痛で医師にかかることはあつたが、それ以外に特に不健康なところはなかつたことの各事実が認められる。

右事実によると、亡タセは本件事故で死亡しなければ、当時六三才であつたから、今後さらに七年間は稼働しうるだけの労働能力を有していたものと認めるのが相当である。

そして生活費は月額一万五〇〇〇円が相当と認められるから、同期間の逸失利益をライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出すると、次の計算のとおり八〇万三〇二二円となる。

{23100×(12+1.8)−15000×12}

×5,7863÷803022

よつて前記過失割合を斟酌すると被告らに請求しうる額は七二万円と認められるところで原告らは、亡タセが受けていた遺族年金、厚生年金も逸失利益として算定し、その損害賠償請求権を相続により取得した旨主張する。

<証拠>によれば、亡タセは、亡夫の遺族年金として年額八万四七四九円の支給を受けていたことが認められる。また<証拠>によれば、亡タセは、もし生存していたならば、昭和四四年一一月現在において厚生年金保険による老令年金として年額一三万八五七八円の支給を受け得たことが認められる。

しかしながら遺族年金や厚生年金は、本人が生存している間だけ支給されるものであるが、それは本人の労働の対価としての性質を有するものではないから、本人死亡によるその不支給を、本人の労働能力喪失による損害として考える余地がない(もつとも、本人のこの種の収入により別に扶養を受けている者があれば、その者は、扶養喪失による損害としてこの点の斟酌を求めうると解する余地があるかもしれないが、原告らは、その旨の損害を主張するものではない。原告らは、亡タセとは世帯を別にし、亡タセによつて扶養されるものではないことは、弁論の全趣旨によつて明らかである)。この種の収入は、もともとその範囲を本人の生存期間と一致せしめられる性質のものであつて、本人の死亡の原因は何であれ、本人が死亡するかぎり基本的に受給権が存在しないものであるから、本人の推定余命期間の基本的受給権があることを前提としてその逸失利益を云々する原告らの主張は失当である。

亡タセは、自己の死亡による慰藉料請求権は、民法七一〇条と七一一条の趣旨に照らし、有しない。

亡タセの遺族に対し、原告竹三郎を通じ、本件事故の損害賠償として自賠責保険金より一五〇万円の支給がなされたことは、当事者間に争いがない。

そうであれば、原告竹三郎は、亡タセの葬儀費用として、当裁判所がその限度においてのみ事故と相当因果関係があると認める一八万円(亡タセの過失を考慮)を支出し、また、原告竹三郎は、父母、配偶者、子を有しない亡タセの唯一の実兄として亡タセの老後の面倒を見る立場にあつたものとして、亡タセの父に準じ、タセ死亡による慰藉料請求権を有すると仮定しても、その額は到底六〇万円を超えないから、原告らがかりに亡タセとその主張の身分関係にあるとしても、その取得する損害賠償請求権はすべて顛補されて残存していないことになる。

四、よつて、その余の争点について判断するまでもなく原告らの本訴請求はすべて失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(坂井芳雄 小長光馨一 佐々木一彦)

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